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映画村の歴史

HISTORY

1897
「日本映画発祥の地」駒札(木屋町元立誠小学校)
写真提供:京都市メディア支援センター
稲畑勝太郎翁

日本映画のはじまりと「京都」

世界における映画のはじまりは、1895年、パリのグラン・カフェにて、リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを有料で一般公開したという話があります。※諸説あり この2年後、京都・西陣からパリへ留学していた稲畑勝太郎が、リュミエール兄弟とクラスメイトだったことから、帰国時「シネマトグラフ」を持ち帰り、「京都」の木屋町で日本初の試写をおこなったことから、「京都」は日本映画発祥の地といわれています。

1926
大正15年(1926年)阪妻プロ太秦撮影所
(現在の「東映京都撮影所」の地)
昭和10年頃(1935年)マキノトーキー製作所
(現在の「松竹京都撮影所」の地)

最盛期は8か所。
日本のハリウッド「太秦」の誕生

それから時を経て、当時最先端テクノロジーである「映画」は、京都ならではの舞台芸術はじめ様々な文化遺産と邂逅しながら、「時代劇映画」という新ジャンルを確立。その拠点として、今から100年前の1926年、当時24歳の若きスター阪東妻三郎が、スタートアップとして一面竹藪の「太秦」を切り拓き「撮影所」を開業。これを契機に、多くの俳優やスタッフが移り住み、最盛期には8社の撮影所が誕生し、「太秦」は日本のハリウッドと呼ばれることになりました。

1950
昭和26年頃の東映京都撮影所 正門
映画『羅生門』ヴェネチア国際映画祭受賞記念碑
写真提供:京都市メディア支援センター

国際映画都市「京都」へ

第2次世界大戦後、約7年間「チャンバラ映画禁止令」により「時代劇」製作は停滞していましたが、日本のハリウッドは息を吹き返します。1951年、「大映京都撮影所」で撮影された黒澤明監督の「羅生門」が、ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞したのをきっかけに、1963年ベルリン国際映画祭で金熊賞を東映京都の『武士道残酷物語』が受賞するまで、「Made in KYOTO」の時代劇が、海外の世界三大映画祭で数々の頂点に輝き、戦争で深く傷つき自信を無くしていた人々に、新時代到来の希望をもたらしました。

「Made in KYOTO」の時代劇 
受賞作品一覧

受賞 作品 会社
1951 ヴェネツィア国際映画祭(イタリア) グランプリ 羅生門/黒澤 明 大映京都
1953 ヴェネツィア国際映画祭(イタリア) 銀獅子 雨月物語/溝口健二 大映京都
1954 ヴェネツィア国際映画祭(イタリア) 銀獅子 山椒大夫/溝口健二 大映京都
1954 カンヌ国際映画祭(フランス) パルム・ ドール 地獄門/衣笠貞之助 大映京都
1963 ベルリン国際映画祭(ドイツ) 金熊 武士道残酷物語/今井 正 東映京都
1975
開業まもない頃の映画村
映画「柳生一族の陰謀」キャンペーン

「京都」から日本映画・時代劇の灯を絶やすな!

黄金期を迎えた国際映画都市「京都」も、テレビの隆盛により「映画製作」が激減。海外で華々しい功績を残した「大映京都撮影所」が倒産し、日本最大級の広さと世界一の映画製作数を誇った「東映京都撮影所」も、閉鎖のピンチを迎えます。そんな中、「日本映画の灯を絶やすな!」をスローガンに、新たな活路として撮影所の屋外スタジオを一般公開。撮影をライブ見学できる日本初のテーマパークとして誕生したのが「東映太秦映画村」です。映画村の大ヒットにより、大作映画の製作が再び復興。国際的スター誕生の契機ともなり、これまで映画製作累計本数2,000本以上、テレビドラマ9,000話数以上の作品を輩出し、現在は海外配信の時代を迎え、世界中から今、「時代劇」へふたたび熱い視線が注がれています。

東映太秦映画村 50年の歩み